館長ご挨拶

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深渡 ふかわたり栄一 えいいち

  • 1953年 岩手県野田村出身
  • 1968年 15歳で漁師の道に
  • 1996年 遠洋漁業から養殖漁業に転向。木彫りの魚制作に取り組み始める
  • 2003年 八戸、東京などで作品展を開催
  • 2011年 海上で東日本大震災の津波に遭遇。自宅は無事だったが、作品のための銘木や漁具、倉庫、船などを失う
  • 2018年 魚の番屋 深渡栄一木彫りの魚美術館を設立
作業中1

私は15歳で漁師の道に入り、海の恵みで生きてきました。現在も漁師として50年海にかかわっています。 子供のころから何かを作ることが好きで、船乗りになってから漁船の模型作りから始まって間もなく地元のケヤキで海の生物(主に魚)をテーマに彫り続けてきました。 作品の数も少しづつ増え、メディアにも取り上げられるようになり、全国から見学に訪れる人も年々増え、各所から展示の話が来るようになりました。 そして、作品で何か出来ないかと思いはじめ、友人と夢を語らいながらも、資金面、土地問題等で時が流れていきました。 叶わぬ夢なのかと心折れる事も何度もありましたが、一方で夢が膨らんでいくのも自身で解りました。 「木の魚」に声を上げ、目を輝かせて抱き着いた子供達、笑顔で見ていた母、「シャッター」を切り続ける父、あの時の事が頭から消えません。

作業中1
作業中2
作業中2

あの東日本大震災、数分の差で拾った命。私の自宅や作品は残っていましたが船や漁具、生きていくための糧を失い呆然としていました。 ともに夢を追い続けてきた先輩は何もかも流され裸同然になっていました。そんな中でも先輩が 「怖いものはもう何も無い。今こそ立ち上がろう。夢を現実にしよう。生きていれば何とかなる。捨てる神あれば拾う神もあるさ」と笑いながら言った時、心を決めました。  震災後多くの方々に助けていただきました。一日も早く自立しよう、夢を叶えようと話し合いの最中に台風の直撃、大津波の時とかわらぬ被害を受け、自然を恨んだこともありましたが、 借入金、少しばかりの自己資金、そしてなによりも友人をはじめ、全国の皆様のご理解とご支援の下、夢を追い続け30年。大津波から7年。 何度となく諦めかけた夢が形になりました。

作業中3

震災後、漁師の数は高齢化、後継者不足も相まって激減し、自治体の人口も減る一方です。 全国の皆様が「魚の番屋」に足を運んでくださり、古里岩手三陸が昔のように元気になり、「木の魚」をみて1人でも多くの子供達が海に興味を持ち、 そして世界の三大漁場である三陸の海で働く若人が増えてくれればと、私どもは心から願っております。 まだ不十分な所だらけですが、 海に関わりながら体の続く限り何度も来て下さるような作品を造り、 同士と共にもっと充実した施設にしていきたいと思っております。 今日までのご支援に深謝申し上げるとともに、今後におきましてもご指導、 ご支援よろしくお願い申し上げます。

作業中3